『鈴を産むひばり』書評のご紹介/「朝日新聞」「週刊新潮」「すばる」「週刊読書人」


*写真は「すばる」12月号から



先日の日記でお伝えしたとおり、このたび『鈴を産むひばり』の第二刷ができあがりました。ここ2カ月ほど、さまざまな媒体で書評も掲載されましたが、客注品の対応に追われて書評をきちんと紹介できなかったので、これを機に改めて紹介したいと思います。



まず1つめは「朝日新聞」10月24日に掲載された歌人穂村弘さんの書評。穂村さんは、光森さんの歌の奇妙な感覚を、「どうしてわざわざそんなことを考えるのか」「考えるだけ無駄」だろう、と、その感覚のおかしさを指摘しながらも、「新しい世界を作り出す力をもっている」歌であり、この歌集では「見慣れたモノたちが日常の目的や役割から自由になって、生まれて初めて出会ったモノのように瑞々しい輝きを放っている」と評してくれました(書評はこちらから)。この書評が出たおかげで、しばらくは客注の問合せが止まりませんでした。そもそも、「朝日新聞」の書評欄で歌集が取り上げられるのはかなりめずらしいことです。また、歌人としてだけでなくエッセイストとしても人気の高い穂村弘さんが取りあげてくれた、ということも大きかったと思います。短歌にさほど詳しくない私も、穂村さんの歌集やエッセイは大好きで、新刊『絶叫委員会』(筑摩書房)も、くすくす笑いながら何度も読み返してしまいます。穂村さんのファンの方などが、この書評がきっかけで『鈴を産むひばり』を手にとってもらえたなら、とてもうれしいです。



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2つめは、「すばる」で取り上げられた記事。詩人の文月悠光さんが「すばる」12月号の「読書日録」というページのなかで、映画も公開中の佐藤泰志海炭市叙景』(小学館)と斎藤倫詩集『本当は記号になってしまいたい』(私家版)と一緒に、本書を紹介してくれました。文月さんは、10月に日本出版クラブ会館で行われた詩歌梁山泊主催のシンポジウムでも、この歌集の身体感覚がおもしろい、と話していました。このシンポジウムは、短歌、俳句、自由詩という三つの詩型の交友の促進を目的とした「三詩型交流企画」というもので、三つの立場からそれぞれパネラーが登壇し、いくつかの作品を詩型を越えて論じあうというものでした。


「すばる」の「読書日録」では、文月さんは『鈴を産むひばり』のなかからとくに印象に残った歌として5首を紹介し、それぞれの歌における身体感覚のおもしろさを指摘しています。たとえば「ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか」という歌について。「日常の動作を死という大きなものに繋げる」この歌には、「鍵を差し込む一瞬の中に、その深さを推し量っている冷静さが見える」、とのこと。この「ドアに鍵強くさしこむ〜」という歌は、先の穂村さんの書評でも取り上げられています。くりかえし読めば読むほど、この歌のおもしろさが広がってくるような気がします。


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3つ目の紹介記事は、歌人俵万智さんが「週刊新潮」2010年11月4日号の「新々句歌歳時記」のコーナー。『鈴を産むひばり』のなかから次の歌を取りあげてくれました。

みなもより落葉ひとつみなぞこへ落ちなほしゆくさまを見てゐつ


水面に落葉が浮かんでいる。樹木から離れ、そこに着いて落葉となった葉っぱ。それが、何かの拍子に水底へと沈みはじめた。作者はそれを「落ちなおしている葉っぱ」として、静かに見つめている。世界の片隅に流れる、この不思議な静謐な時間。私はふと、幼いころ学校で聞いた「二度目の死」という言葉を思い出した。そういう連想を誘う哲学的な映像が、三十一文字で描かれている。


俵万智(「週刊新潮」2010年11月4日号「新々句歌歳時記」)

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最後に、「週刊読書人」12月24日号の「2010年回顧(動向 収穫)」の短歌欄でも、歌人藤原龍一郎さんが本書を紹介してくれました。

今年刊行された第一歌集では、光森裕樹歌集『鈴を産むひばり』(港の人)、楠見朋彦歌集『神庭の瀧』(ながらみ書房)、菊池孝彦歌集『声霜』(六花書林)の三冊が、歌世界の確立において他を圧していたように思う。


藤原龍一郎(「週刊読書人」12月24日号「2010年回顧(動向 収穫)短歌」

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もっと頻繁にブログで紹介できればいいのですが、つい更新が遅くなり、まとめてのご紹介となりました。弊社の刊行書籍の書評記事は、こちらでまとめて読むことができます。ぜひ覗いてみてください。