イエーツのこと


私がイエーツをきちんと読もうと思ったのは、ある一冊の本との出合いがきっかけでした。それは、『イェイツの詩を読む』という本です。この本は、詩人の金子光晴さんと英文学者の尾島庄太郎さんがそれぞれ訳したイエーツの詩と、各詩についてのふたりの対談が収められており、ふたりの死後、未刊のまま残された草稿を、尾島さんの弟子で詩人の野中涼さんが編集し書籍化したものです。偶然古本屋でこの本と出合ったのですが、そのおもしろさにぐいぐい引き込まれました。


なかでもふたりによる対談は、とても興味深く、決して詩に明るいとは言えない私でも十分に楽しめる内容です。ここでは、イエーツのそれぞれの詩の背景や特色を解説するだけではなく、訳者であるふたりがどのようにその詩を捉え、どのように日本語に訳したのかが率直に語られています。イエーツの詩について語りながら、どこかで金子光晴、尾島庄太郎それぞれの詩観が透けて見え、詩の翻訳の奥深さを実感させてくれるのです。この本と出合ったことで、それまでイエーツの詩に感じていた堅苦しさや格調の高さといったものがなくなり、身近なものとして読むことができるようになりました。


『最後のロマン主義者 イエーツ訳詩集』のおもしろさも、もしかするとこの『イェイツの詩を読む』と通じるところがあるかもしれません。訳者の加島さん自身の人生観や詩に対する思いが、イエーツの詩のすきまから見えてくるように思うからです。イエーツの詩集には、同じく加島さんがかつて訳した『イエーツ訳詩集』(思潮社)や、他の訳者によるものなど何冊かあります。同じ詩であっても、それぞれの詩集での訳され方を比べながら読んでいくことも、訳詩集の楽しみ方のひとつです。


『最後のロマン主義者』には、イエーツの詩とイエーツについて加島さんが書かれたエッセイの両方が収められています。本書を読まれる方は、まず詩から読み、そのあとにエッセイを読んでみてください。そうすれば、加島祥造とイエーツというふたりの詩人の共同作業によって、この訳詩集がつくられていることがよくわかると思います。翻訳というフィルターを通して、もう一度イエーツの詩と出合える、そんな一冊です。


イェイツの詩を読む

イェイツの詩を読む

最後のロマン主義者 イエーツ訳詩集 (加島祥造セレクション1)

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