最後のロマン主義者


加島祥造セレクションの1冊目である『最後のロマン主義者 イエーツ訳詩集』には、イエーツの数々の詩のなかから、12篇の訳詩、そしてイエーツに関するエッセイ、W・H・オーデンによるイエーツの死を偲ぶ詩の翻訳が収録されています。これらは、加島さんが長年にわたって書きついできたもののなかから、本書のために選んだ思い入れの深い文章です。そのなかの「イエーツについての実感的覚え書き」というエッセイには、なぜいまイエーツを訳すのか、という加島さんの思いが記されています。


詩には、ふたつの分かり方がある、といいます。ひとつは、詩を「分ける」こと、つまり詩の言葉を分解し、分析することで対象となる詩を整理し、理解する方法。もうひとつは、その詩の本質を読む側も一緒に「分けあう」ことで、詩が伝えようとするものを全身で感受する方法。


加島さんは、若い頃にイエーツの「イニスフリーの島へ」という詩を読んでも、まったく感動できなかったけれど、それから30年後にこの詩を読み直し、ふいにその思いに共感できたといいます。「イニスフリーの島へ」は、ロンドンに在住していたイエーツが、アイルランドの田園地帯で暮らしていた遠い記憶を想い出し、自然のなかでの生活に対するあこがれを書いた詩です。東京育ちの加島さんには、田舎への追慕という感覚が理解できなかった。けれども、やがて加島さん自身が信州の伊那谷に小屋を構えると、都会の喧噪のなかで田舎を憶う気持ちが不意にわかった。そうして再びこの詩を読んだとき、自分の体験としてこの詩を受け止めることができたそうです。

このように、ごく短かくて明快である詩でも、そして誰にも愛されるような詩でも、こちらにその中心情緒に応じる体験がなければ、「分からない」。理解は簡単にできても、共感を分けあって「分かる」のは別のことだ。(「W・B・イエーツについての実感的覚え書き」『最後のロマン主義者』より)


このエッセイは、97年に加島さんの訳で『イエーツ詩集』(思潮社)を出した際に書かれた文章です。そして、それから10年近くたった現在、自身のこれまでの体験をもとに改めてイエーツの詩を「分かろう」とする思いが、本書には現れているように思います。

時代の流行は流れ去っても、不易の真情は残りつづけ、遠く時と所を隔てた人に伝わる。(中略)遠く場所と時を隔てて現代の私に、イエーツのこの不易の感情が伝わったのであり、それをなんとか生きた言葉で再現しようとした――そして、どうやら自分に納得できる詩となったのは、わずか十二篇なのでした。(「はじめに」『最後のロマン主義者』より)

最後のロマン主義者 イエーツ訳詩集 (加島祥造セレクション1)

最後のロマン主義者 イエーツ訳詩集 (加島祥造セレクション1)