連続映画講座「キューバの作家たちと映画」第1回〈G・カブレラ=インファンテと映画『P.M.』〉その2


*今福さん制作の資料より。



いつの間にか1週間以上もたってしまいましたが、前回の日記に引き続き、20日に行われた「キューバの作家たちと映画」第1回の内容について、少し補足をしておきます。


まずは当日の流れについて。参考上映の後、G・カブレラ=インファンテと映画『P.M.』との関係や『P.M.』が上映禁止にされたいきさつについて簡単な説明をし、その後、今福さんの講義に移りました。自身のキューバへの思いや、かつて滞在していた際の記憶を織り交ぜながら、なぜ今キューバ映画について語るのかというところから、今福さんの話がスタートしました。


今福さんはまず、『P.M.』が制作された1960年末から、上映禁止処分となった61年5月中旬までのキューバの政治状況の変遷を、「キューバ20世紀史」として紹介。キューバでは、1960年10月からアメリカによるキューバ経済制裁(禁輸政策)が始まり、61年4月には、ピッグズ湾事件が勃発、5月1日にはカストロが「社会主義革命」を宣言しています。今回のテーマ〈G・カブレラ=インファンテと映画『P.M.』〉を考えるためには、『P.M.』をめぐる一連の事件がまさのこのタイミングに起こったのだということを、頭に入れておかなければいけない。そして、この上映禁止処分には、『P.M.』がどういう映画であるかということよりも、当時カブレラ=インファンテが編集長をつとめていた「ルーネス」という文芸雑誌との結びつきが、大きな原因としてあったこと。こうした、歴史的な背景やこの事件が起きるまでのキューバの政治状況などを、丁寧に語ってくれました。


しかしなかでも面白かったのは、フィルム・テクスチュアの問題についての話です。60年の経済制裁のために、キューバの街からは、それまで当然のようにあった商品や風俗が次々と消えていった。それまでキューバ市民の間で普及し、革命後にキューバから撤退したBACARDI社製造のラム酒「ROM BACARDI」やビール「Carveza Hatuey」もそのひとつ。60年末に撮影された『P.M.』は、ハバナのバーやキャバレーで夜を楽しむ人々を映したドキュメンタリー映画なので、当然ながら当時人々の間で飲まれていた、BACARDI社のラムやビールの瓶やラベルが映り込んでいる。つまりこのフィルムは、知らぬ間に、まさに今キューバから姿を消そうとしているものたちの最後の姿を捉えてしまったといえる。そして消え去り行くもののなかには、キャバレーという場や、そこで夜を過ごすという文化・風俗自体も含まれている。


G・カブレラ=インファンテは、『P.M.』にはある種のノスタルジーがある、と語っていたが、それはこの映画に、かつて人々が享受し、革命によって消え去ってしまったこれらの風景や文化が映り込んでいるからではないか。もちろん、『P.M.』の監督ふたりが意図的にBACARDI社のラム酒やビール瓶のラベルを映した、というわけではないだろうし、キューバ政府も、これらが映っていたために上映を禁止した、ということはないだろう。ただ、フィルムに現われた細部を見ていくうちに、一見何の政治的メッセージも感じられないこの短編ドキュメンタリー作品のなかに、何かが終わろうとしている不穏な気配や、かつてあったキューバの姿に対するノスタルジーが感じられてくる……。


他にも、フィルム・テクスチュアの問題として、『P.M.』で演奏をしているパーカッショニストのEl Chori(Silvano Shueg)のことや、BACARDI社のキューバとの関係など、次々と興味深い話が飛び出し、みんな真剣に聞き入っている様子でした。これらはフィルムの細部を見ていくことで発見できる問題ですが、その背景をきちんとふまえた上での分析なので、マニアックな議論にならずに聞くことができました。今福さんのお話では、G・カブレラ=インファンテの話や文芸雑誌「ルーネス」についての話など、どれも勉強になるものばかりでしたが、このフィルム・テクスチュアの話は、映画の語り口としても新鮮で、本当におもしろかったです。


今福さんによる講座はいずれ文章としてきちんとまとめたいと考えていますが、まずはメモ代わりにここに簡単に記しておきます。次回の予定はまだ決まっていませんが、テーマとしてはもう一度G・カブレラ=インファンテを扱うつもりですので、ぜひ楽しみにしていてください。