北村太郎と堀江敏幸と「イチゴのショートケーキ」の話



先週から満開となっていた桜も、そろそろ葉が見えてました。今年はいつまでも寒いと思っていたら、急に春がやってきたようなふしぎな気分です。


春、ということで思い出したのは、北村太郎さんの「イチゴのショートケーキ」の話。『樹上の猫』におさめられた、北村さんのこの短い文章を、作家の堀江敏幸さんが「日経新聞」のコラムで取り上げてくれたことがありました。


春になってなにが嬉しいかというと、もちろん花見なんぞではなくて、おいしい苺のショートケーキが食べられることだ。甘党だからケーキ類はかなり口にするほうだが、いちばん幸せな気分になれるのは苺のショートケーキで、お洒落なお店で注文するには芸がなさすぎて逆に緊張してしまうような品だけれど、春の新鮮な果実がぽつんと積まれたあのケーキに深煎りの珈琲があれば、もうなにも言うことはない。


しかし、どうしたものか、身のまわりにおなじ嗜好を持った人がいなくて、べつに悲しむほどのことでもないのに、ずいぶんながいあいだ私はやっぱり悲しかったのである。その悲しみの霧がふっと晴れたのは、北村太郎の一文を読んだときだった。有楽町の会社に勤めていた詩人は、三月から四月にかけて、仕事帰りに新橋まで歩き、M製菓のパーラーに立ち寄ったという。目当ては「イチゴのショートケーキ」である。



堀江敏幸「苺のショートケーキ」(「日経新聞」2004年5月16日)


堀江さんが紹介してくれたのは、『樹上の猫』に収められた「食べもの・飲みもの いいにおい」というエッセイの一部。四季に分けて食べもの・飲みもののいいにおいを紹介した、北村さん流の「におい歳時記」。「春」のにおいは、2月の節分に母親が煎ってくれた豆のにおい、そしてショートケーキのイチゴのにおい。


大の大人がショートケーキなんて、いまの若い人から笑われそうですが、昔は一年じゅうイチゴを売っていたわけではなかったのです。春さき、とれたてのイチゴをつんで、その年初めてのショートケーキを作ったものなのです。ほんとうのことをいえば、イチゴにはにおいというほどのにおいはありません。でも、クリームに挟まれたイチゴには、ほんのかすかですが、明るい日光のにおいがあるような気がしたものです。




北村太郎「食べもの・飲みもの いいにおい」『樹上の猫


ふたりの文章をそれぞれ読み返していたら、私もショートケーキが食べたくなってしまいました。


堀江さんの上の文章は、『半歩遅れの読書術〈1〉私のとっておきの愉しみかた』(日本経済新聞社)という本に収められています。『樹上の猫』とあわせて、ぜひ読んでみてください。