合田佐和子『90度のまなざし』


2月17日。画家の合田佐和子さんが亡くなって、1年が経ちました。合田さんは53歳のときから、鎌倉でもひときわ静かな一画に住まい、創作を続けておられました。
合田佐和子さんといえば「眼の画家」としてご存知のかたも多いと思います。1991年、中上健次が「朝日新聞」に「軽蔑」を連載したときの挿絵を、8カ月間ずっと眼のデッサンだけで通して注目を集めました。しかし、合田さんのキャリアのスタートは、廃物を使ったオブジェであり、状況劇場天井桟敷の舞台美術、映画スターのブロマイドを素材にした油絵、ポラロイド写真、自動書記など、自由闊達に、そして旺盛に、描き続け、つくり続けてきました。
紛れもなくアーティストであり、眼の人なのですが、その文章も、とても魅力的。どこからこんな自由な言葉が出てくるのかと思うような常識を超えた表現に彩られています。
合田さんが雑誌などに発表した文章を集めたのが、新刊の『90度のまなざし』です。デビュー直後の20代に書いた詩のようなエッセイ、インスピレーションの源泉となっている幼い頃の思い出や、絵を描くときのことから日常のことまで、生涯にわたってたくさんの文章を書いたのですが、そこから82本を選び収録しました。文体は奔放で発想は右脳的ですが、書評や映画評を読めば、とても頭脳明晰な人であることがうかがえますし、寺山修司瀧口修造への追悼文などには、追悼文や人物評にありがちなお世辞じみた言葉は一切なく、でも、合田さんがその人を慕う気持ちや、相手の本質をいかに的確に捉えていたかが伝わってきます。明るくて陽気で、うじうじしたところのないのもよいのです。
次女でコラージュ作家の合田ノブヨさんには、巻末に言葉を寄せていただきました。「好きなように生き、描き、本当に濃い人生だった」と語っておられます。
他人の評価や世間体には耳を貸さずに、自分だけの美の世界を追い求めた合田佐和子さん。『90度のまなざし』には収録しませんでしたが、2003年の松濤美術館での展覧会「影像」のカタログのために書かれた「航海図」という文章から以下に引用します。合田さんの肉体はもうこの世にはありませんが、永遠とは何かということを、魂で教え続けてくれるような気がします。
 

時代のしるしが私達に要求することに正しく向い合ってゆく努力をしていると、近代が到達したものの対極を見出したいと思うようになってゆく。
なぜ古代や超古代には芸術が存在したのか。それを知るためには、もっと霊性にいたる必要がある。