宮沢賢治『あたまの底のさびしい歌』
昨年3月以来、『雨ニモマケズ』や『銀河鉄道の夜』など、宮沢賢治の作品が改めて注目されているようです。昨年末には、福島県出身の作家・古川日出男さんが賢治の『春と修羅』を朗読したCDブック『春の先の春へ』(左右社)も刊行されています。私も、古川さんによる『春と修羅』の朗読を一度聞いたことがあります。そのときの、古川さんの凄まじい気迫と賢治のことばには、今でも忘れられないほどの衝撃を受けました。
港の人から2005年に刊行した一冊の本があります。『あたまの底のさびしい歌』。宮沢賢治が家族や友人に宛てた手紙のなかから11通を選び出し、川原真由美さんの美しいイラストとともに再構成した本です。大震災が起こったあと、これからどうしようと途方に暮れていたときに、ふと読み返したのがこの本でした。最後に収められた手紙に書かれた賢治のことばに胸を打たれました。そして、この本を出した港の人という場所で、今後も頑張っていこうと思いました。
かつての教え子に宛てられたこの手紙は、賢治が亡くなる10日前、1933年9月11日に出されたものです。この年の3月3日には、3000人以上の死者をだした昭和三陸地震(大津波)が起こっています。手紙には地震(津波)のことは触れられていませんが、その半年後に書かれたこのことばに、生きていくことへのメッセージが託されているような気がします。
「また書きます」と書いて、賢治はこの手紙を終えています。
これから先も、ずっと伝えていきたい1冊です。
風のなかを自由にあるけるとか、
はっきりした声で何時間も話ができるとか、
じぶんの兄弟のために
何円かを手伝えるとかいうようなことは
できないものから見れば神の業にも均しいものです。
そんなことはもう
人間の当然の権利だなどというような考では、
本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。
どうか今のご生活を大切にお護り下さい。
上のそらでなしに、
しっかり落ちついて、
一時の感激や興奮を避け、
楽しめるものは楽しみ、
苦しまなければならないものは苦しんで
生きて行きましょう。
(かつての教え子、柳原昌悦への手紙より『あたまの底のさびしい歌』)